最終更新日 2004年01月01日

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家族日記
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家族日記

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1998年 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1999年 1月 2月 3月 4月 5月

1998年7月
曜日

出来事

18 終業式(諒子・一哉)
19 フットベースボール大会で、諒子はベースから離れててアウト
地区旅行は、一泊旅行でしたが、私たちは泊まらなかったので諒子が憤慨していました。
21 島原・三角間のフェリーに小学生達が乗船し、体験航海しました(諒子参加)
22 九州電力主催の6年生玄海原発見学見学旅行に便乗しておかあさんと諒子・一哉の3人で参加。帰宅後、一哉が39度の発熱でダウン。
23 一哉、小児科へ。疲れか冷房のせいでの風邪?昼間は、ずっと寝ていて、夜元気。
24 一哉のおとまり保育の日でしたが、朝方は平熱で元気でしたが、昼食後、幼稚園に行く準備中に熱を計ると37.5度で、その上ちょっと鼻血まで出たので、おとまり保育は断念、でも夜元気。ちなみに、一昨年、諒子はおとまり保育中に腹痛を訴え、夜7時頃、帰宅の経歴あり。姉弟揃って、おとまり保育に挫折
29 雲仙焼物教室に、おかあさん・諒子・一哉が参加。諒子の作品は、不思議な花の皿と、ぐい飲みと、ポケモン皿。一哉の作品は、ちびトトロと、ポケモン小皿。おかあさんは、トトロ大皿と、灰皿と、ぐい飲みと、箸置き。焼きあがる完成予定日は8月20日頃
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1998年8月
曜日

出来事

4 諒子と一哉は、スイミングも、登校日も、剣道教室も無視して、佐世保へ4日から8日まで遊びに行きました。
5 おかあさんは、パソコン教室に行って、インターネットを自由自在に操れるようになったので、そろそろ皆さんにメールを送るだろうと思います。
8 おとうさんとおかあさんが、佐世保へ行って、諒子と一哉を連れて帰ってきました。
18 祥太君・悠介君が千葉から両親と帰省してきました。
倉敷と秋吉台に寄って、新幹線をたくさん乗り継いで島原に到着しました。
諒子ちゃんは、随分女の子らしくなっていました。一哉君は、すごいおしゃべりです。一郎伯父さんの頭を触って、河童と言っていました(-_-;)。(一郎記)
20 諒子・一哉・祥太・悠介達が、無料のトトロコンサートに行ったけど、後ろの席に座ったのが大失敗。クイズの時、一生懸命ハイハイと手を挙げても指してもらえず、ストレスがたまったようです。でも、子供達はみんなトトロの歌が大好きです(^。^)。(一郎記)
22 祥太君・悠介君達が千葉に帰るので、私達家族も一緒に空港まで送って行き、その帰りに、雲仙焼物教室に寄り、7月29日に作った作品が焼きあがっていたので、引取ってきました。
27 諒子は、火山灰粘土工作教室に参加して、綺麗な花や、ポケモン等の粘土細工を、作ってきました。
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1998年9月

曜日

出来事

1 長い夏休みが終わり、諒子は両手いっぱいの、夏休みの作品を抱え、一哉は元気いっぱいで、始業式に行きました。
6 おかあさんのおじいちゃんが、手術で入院されているので、佐世保までお見舞いに行きました。
12 祥太君、誕生日おめでとう。
13 子供クラブの廃品回収があり、おとうさんは、会社のトラックを運転して廃品を集め、おかあさんと諒子は、アルミ缶を一生懸命足で踏んで押しつぶし、一哉は、おとうさんの運転するトラックの荷台に乗って遊んでいました。
18 諒子と一哉が、夏休みが始まってから、毎週金曜日に通っていた剣道教室の最終日でした。二人とも、足さばきを結局覚えられませんでしたが、最終日には一応防具を着けて、一本勝負をさせてもらい、二人とも「面」を取られて負けました。諒子は、剣道を続けてみたいと言っていますが、一哉は、防具が臭いからイヤだと言っています。
23 一哉の幼稚園運動会が、市立体育館で開催されました。8mmビデオが壊れていたので、朝から諒子の同級生のお宅から借りてきて撮影しましたが、昼過ぎに電池が切れてしまい、一哉が参加した全種目を映せませんでした。
おとうさんとおかあさんは、綱引きに出ましたが、おとうさんは、7月末に痛めていた腰を、またまた痛めてしまい、家に帰ってから湿布を貼って寝込みました。
27 諒子の小学校運動会が開催されましたが、8時ごろから小雨がずっと降り続き、おかあさん・諒子・一哉(来年入学予定の子供達が走る「うきうき、もうすぐ一年生」に出ました)は、びしょぬれになって帰ってきました。
おとうさんは、親戚の佳予子さんの結婚披露宴に出席したので、運動会には行けませんでした。
29 今日は、おかあさんの誕生日でしたが、運動会で雨に濡れた諒子が28日朝から咳と熱がひどく、病院に行ったら喘息様気管支炎との事で、夜に息苦しいと言ってずっと起きていたので、29日はみんな寝不足で、誕生日のお祝い行事は、無期延期になりました。
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1998年10月

曜日

出来事

1 すっかり元気になった諒子は、相変わらず色々忘れ物をしながら小学校へ登校しました。おかあさんの誕生日のお祝いを、3日遅れで開催しました。
10 市民体育祭の、森岳地区選手に、おかあさんがなりました。
もちろん、綱引きの選手。
15:15から試合開始予定、30分前に集合だったので、14:40に家族みんなで行ったら、市民球技場のど真ん中で、もう始まっていて、おかあさんは球技場を横切って行く事ができず、結局スタンドで家族一緒に、ぼ〜と眺めていました。
17 敬二さん、誕生日おめでとう...と、誰も伝言板に書いてくれませんでした。
台風接近で、雨天により幼稚園のみかん狩遠足が24日に延期になり一哉は、がっかりしていました。
18 おかあさんのおじいちゃんが退院されたので、家族みんなでお見舞いに佐世保まで行きました。
24 おかあさん・一哉・諒子は、幼稚園のみかん狩りに、大村まで行って、みかんをたくさんちぎってきて、昼からは、おとうさんが参加していたソフトボール大会に時津まで行って合流し、ゲームに参加したり、おもちゃを買ってもらいました。
おかあさんの弟の祐三さんが、島原まで一緒に帰ってきて泊まりました。
おとうさんは、祐三さんから、スキャナー機器を一式貰って、ご機嫌でした。
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1998年11月

曜日

出来事

8 諒子が夏休みの作品で描いた「鳥の絵」が、MOA美術館児童作品展で佳作に入選したので、賞状を貰いに家族みんなで霊丘公民館へ行きました。
10 インターネット通販で、AMD K6-2/350MHzが、19,500円になったのを発見したおとうさんは、辛抱堪らず注文してしまいました。
18 AMD K6-2/350MHzが届いたので、さっそくおとうさんは、マザーボードのBIOSのUpDate等を始めました。
19 21時からマシンをばらし始め、24時に無事再組み立てが終了しましたが...。
23 数日間、色々マシンをいじくりまわしても、なかなか安定せず、すっかりおとうさんは、疲労困憊してしまいました。
25 おとうさんは、博多に仕事で出張したついでに、パソコンのパーツを有り金はたいて買ってきてしまいました。
29 マザーボードからビデオカードまで、ごっそり入れ替えて、少々怪しい部分はありますが、ようやくマシンが安定しました。
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1998年12月

曜日

出来事

9 真夜中2時頃、一哉が、頭が痛いと訴え、熱を測ってみると39度の熱だったので、熱さましを飲んで眠り、朝から小児科へ行って風邪薬を貰って家で寝ていましたが、16時頃、急に40度以上の熱を出し、痙攣してそのまま意識不明となり、小児科へ運び込み、注射や点滴等の処置で21時頃熱が下がり、意識も取り戻しました。
一哉は点滴を続けながら入院となり、おかあさんが付添いました。
10 一哉とおかあさんは、病院の為、おとうさんが諒子の朝食(パン1個)を作って食べさせました。
一哉は、一日数回、高熱(40度以上)に襲われる状態が続いていますが、熱さましで熱が下がっている時は元気です。でも、さすがに食欲はありません。
12 午後から、おとうさんと交代しておかあさんは家に帰り、久しぶりにお風呂に入りました。
一哉の高熱は相変わらず数時間おきに発生する為、点滴に混ぜる抗生物質の種類が変わりましたが、あまり変化は見られません。
13 一哉は、昼前に39度の発熱がありましたが、熱さましを飲んで以降は、高熱が出ることもなく、一日をすごしました。
14 一哉は、土曜日からの抗生物質が効いてきたのか、終日発熱することもなく過ごしています。少し元気になって、病室の備品(テレビ置台兼用テーブル)に落書きして、おかあさんに しかられました。
15 点滴の量が60ml/hから40ml/hに減りました。抗生物質は、相変わらず一日二本、点滴に混合されています。一哉は、ベッドの上で飛び跳ねて、おかあさんから しかられました。
16 今度は諒子が風邪で発熱。15日のスイミングスクールの後、髪をよく乾かさなかったのが原因?一哉が入院している小児科でおかあさんが予約の順番を取ってくれました。のどの奥が赤いとの診断。風邪薬と熱さましを貰い、家で寝ていましたが、夜中に40度の発熱。水枕は一哉が病院で使っているので、ビニール袋に氷を入れて頭を一時間近く冷やして収まりました。
17 朝からの診察と検査で異常がなく、無事一哉は退院しました。
諒子は昼間快調で、こたつにはまってポケモンのビデオを見ていましたが、夜になって39度の熱がでて、おかあさんからおこられながらベッドに入りました。
22 一哉は、幼稚園のクリスマス会で、聖劇「星の光ったその晩に」の、ヨセフの役を無事務めました。
24 風邪もすっかり直った諒子と一哉は、終業式から元気に帰ってきて、楽しい冬休みになりました。
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1999年1月

曜日

出来事

1 元旦は、おじいちゃんが初日の出に向かって詩吟を唸る会から帰ってきた9時から、曾おばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、私達四人の計7人家族で、お屠蘇を戴き、おせち料理を食べました。
午後から、猛島神社へ初詣に行ってお参りしました。
諒子のおみくじは「小吉」で、「勉学危うし努力せよ」と、2学期の通知表が神様にばれていたようです。
今年は仕事の関係で帰省できなかった雅子さんのために、このHomePageに私達の正月の姿を掲載しました。
3 長崎に寄ってから、佐世保のおじいちゃん、おばあちゃんの家に泊りがけで年始のあいさつに行きました。
長崎のコンピュータウンと言うパソコン店へ行きましたが、諒子や一哉はパソコンソフト(Barbie お話クラブ・算数RPG算数伝説・デジタルトミカ)を総額二万円買ってもらい、おかげでおとうさんは750円のコネクタを一個買っただけでした。
佐世保では、おじいちゃん、おばあちゃん、祐三さんと、新年会を開きました。
4 八幡神社にお参りした後、佐世保の曾おじいちゃんが、昨年末から再入院されているので、お見舞いに行きました。曾おじいちゃんは、腎臓透析のおかげで全身のむくみも取れ、かなり元気になっておられました。
10 今年度2回目の子供クラブ廃品回収があり、昨年9月同様、おとうさんは、会社のトラックを運転して廃品を集め、おかあさんと諒子は、アルミ缶を一生懸命足で踏んで押しつぶし、一哉は、おとうさんの運転するトラックの荷台に乗って遊んでいました。
午後から、おかあさんは諒子の入っている剣道クラブ主催のクラブ対抗大会の手伝いに出かけ、諒子と一哉は、お友達の所に遊びに行き、おとうさんは、午前中の廃品回収で疲れてしまって、半日眠っていました。
11 諒子は、友達と遊ぶ約束をしたからと言って、帰ってきてランドセルを置いたらすぐに待ち合わせの学校に戻りましたが、1時間ほどして、誰も来なかったと泣きながら帰ってきました。諒子が友達の家に抗議の電話をしようとしたら、電話機に留守電が入っていたので、聞いてみたら、諒子が家を出た直後に、友達から遊びに行けなくなったと言う伝言が入っていました。
13 一哉が、幼稚園のおすもう大会で、年長組男子の部で優勝した...そうです。
一哉談「負けると涙がでてくるから、う〜ん・・・と言いながら、押した」
だてに、大飯ぐらいの固太りではなかったと、両親は喜びました。
25 午前0時35分、曾おばあちゃんが亡くなりました。享年99歳。
ここ数日、少し元気がなかったのですが、昨日の朝から食欲が無くなり、いつものように縁側の陽だまりに連れていって寝かせても、普段は「あったかくて極楽極楽」と上機嫌になるのに、お日様に当たっても「寒い」と言う状態でした。
夕方には呼吸が苦しそうになり、医者に診てもらったら肺機能が低下しているとの事で、注射を打ってもらい少し収まりました。
母と叔母が付添って夜を過ごしていましたが、夜半過ぎに水で口を湿らしてやろうとしたところ、呼吸がおかしいと皆を起こし、医者を呼んでいる最中に脈が止まり、永眠しました。子、孫、曾孫に囲まれ、自宅の畳の上での大往生だったと思います。合掌。
27 曾おばあちゃんの葬儀を済ませました。
お墓の納骨堂の、曾おじいちゃんの骨壷の横に曾おばあちゃんの骨壷を並べて収めました。今ごろ二人で久しぶりに再会して話に花を咲かせていることでしょう。
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1999年2月

曜日

出来事

8 朝ごはんを食べている最中に、諒子が気分が悪いと言い出したので体温を測ってみたら38度の熱。この冬2回目のインフルエンザ罹患。
諒子のクラスは、諒子を含め本日12名の欠席と6名の風邪ひきさん。
9 諒子のクラスは、本日16名の欠席と6名の風邪ひきさんで、ついに学級閉鎖になりました。
10 予想どうり一哉もこの冬2回目の発熱。二人仲良く家で寝込みました。
11 おとうさんが、10日から泊りがけで長崎に出張して帰ってきてみたら、おかあさんも、子供達の風邪を貰って寝込んでいました。
14 子供達は、時々咳きをする程度で熱も下がり、明日から学校・幼稚園に行けそうですが、おかあさんは咳きがひどく、身体中の節々が痛いと辛そうです。
おとうさんも、少し変な咳きが出始めました。また出張なのに困った困った。
21 39度の熱を出しながら、17日から19日にかけて静岡に出張していたおとうさんが帰ってきました。出張が終わり、19日夕方に千葉の一郎さんの家にたどり着きましたが、あいにくの留守で雪の降り出した玄関先で待ちぼうけしたり、東京に住む雅子さんが、20日に千葉まで泊りがけで会いにきてくれました。
28 一哉の幼稚園生活最後の発表会(学芸会)がありました。とても張りきって太鼓を叩いたり、元気いっぱいで踊ったりしましたが、舞台の後ろの方だったので、ビデオカメラマン役のおとうさんは、非常に苦労しました。
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1999年3月

曜日

出来事

4 諒子の小学校のお別れ遠足の日でしたが、昨年と同様、雨になってしまい、体育館で楽しくお弁当を食べました。
7 曾おばあちゃんの、七七日の法要が行われました。
11 一哉の幼稚園のお別れ遠足が島原城でありました。
寒かったのでいっぱい着込んでいったら、一哉はお城の周りを9回も駆け回ったので、汗びっしょりになりました。
17 諒子の8歳の誕生日でした。千葉のみんなから、誕生日おめでとうのメールをもらい、大喜びしました。
20 一哉の幼稚園卒園式に、おとうさんと、おかあさんが出席しました。おかあさんは、卒園生保護者代表で挨拶をしましたが、前日までの練習のかいもなく、完全に声が裏返ってしまいました。
雅子さんが、お友達の朝井君を連れて、帰省してきました。子供達は大喜びで、遊んでもらいました。
21 町内子供クラブの歓送迎会で、一哉は初ボーリングをしました。結果は、内緒です。
最終便で帰る雅子さん達を送って、長崎空港までみんなで行きました。
24 諒子は2年生終了式を済ませ帰ってきました。
通知表の中身は内緒です。
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1999年4月
曜日

出来事

6 新三年生・諒子の始業式
7 新一年生・一哉の入学式
CATV「かぼチャンネル」で入学式の模様が放映されましたが、カメラを意識した一哉は、ロボット歩きをしていました。
15 時々かかってくる間違いFAXの中身を見てみたい一心で、おとうさんはパソコンの電源が落ちていてもFAXが受信できるMODEMを通販で買いましたが...買って3日目には壊れてしまい、その後よくかかってくる間違いFAXを受信できず、がっかりしています。
18 佐世保のおじいちゃんのお見舞いに家族みんなで行きました。
22 朝から曇り空でしたが、小学校の歓迎遠足が終わる昼過ぎまでは、どうにか雨が降らずに済みました。
24 諒子は、剣道で初めて試合をしましたが、相手の胴を狙って竹刀を振り回すばかりで、防御が念頭に無かったので、たちまち面を二本取られて負けました。
25 大三東(おおみさき)海岸が無料開放されていると言う話を聞き込んで、家族総出で貝堀りに行きました。 諒子と一哉は潮溜まりで遊んでいましたが、おとうさんとおかあさんは、久しぶりの貝がザクザク出てくる状態に興奮して、バケツいっぱいの貝を採って、ご機嫌でした。
29 再び、貝掘りに行って、またバケツいっぱいの貝を掘ってきました。
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1999年5月
曜日

出来事

2 みたび貝掘りに行って、またまたバケツいっぱいの収穫でした。
ここ数年、毎年春は貝堀りをしてきましたが、これほど良く採れた年は初めてでした。
ちょっと小ぶりな貝塚ができるほど、あさり貝を食べまくった春です。
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