日 |
曜日 |
出来事
|
1 |
金 |
元旦は、おじいちゃんが初日の出に向かって詩吟を唸る会から帰ってきた9時から、曾おばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、私達四人の計7人家族で、お屠蘇を戴き、おせち料理を食べました。
午後から、猛島神社へ初詣に行ってお参りしました。
諒子のおみくじは「小吉」で、「勉学危うし努力せよ」と、2学期の通知表が神様にばれていたようです。
今年は仕事の関係で帰省できなかった雅子さんのために、このHomePageに私達の正月の姿を掲載しました。 |
3 |
日 |
長崎に寄ってから、佐世保のおじいちゃん、おばあちゃんの家に泊りがけで年始のあいさつに行きました。
長崎のコンピュータウンと言うパソコン店へ行きましたが、諒子や一哉はパソコンソフト(Barbie
お話クラブ・算数RPG算数伝説・デジタルトミカ)を総額二万円買ってもらい、おかげでおとうさんは750円のコネクタを一個買っただけでした。
佐世保では、おじいちゃん、おばあちゃん、祐三さんと、新年会を開きました。 |
4 |
月 |
八幡神社にお参りした後、佐世保の曾おじいちゃんが、昨年末から再入院されているので、お見舞いに行きました。曾おじいちゃんは、腎臓透析のおかげで全身のむくみも取れ、かなり元気になっておられました。 |
10 |
日 |
今年度2回目の子供クラブ廃品回収があり、昨年9月同様、おとうさんは、会社のトラックを運転して廃品を集め、おかあさんと諒子は、アルミ缶を一生懸命足で踏んで押しつぶし、一哉は、おとうさんの運転するトラックの荷台に乗って遊んでいました。
午後から、おかあさんは諒子の入っている剣道クラブ主催のクラブ対抗大会の手伝いに出かけ、諒子と一哉は、お友達の所に遊びに行き、おとうさんは、午前中の廃品回収で疲れてしまって、半日眠っていました。 |
11 |
月 |
諒子は、友達と遊ぶ約束をしたからと言って、帰ってきてランドセルを置いたらすぐに待ち合わせの学校に戻りましたが、1時間ほどして、誰も来なかったと泣きながら帰ってきました。諒子が友達の家に抗議の電話をしようとしたら、電話機に留守電が入っていたので、聞いてみたら、諒子が家を出た直後に、友達から遊びに行けなくなったと言う伝言が入っていました。 |
13 |
水 |
一哉が、幼稚園のおすもう大会で、年長組男子の部で優勝した...そうです。
一哉談「負けると涙がでてくるから、う〜ん・・・と言いながら、押した」
だてに、大飯ぐらいの固太りではなかったと、両親は喜びました。 |
25 |
月 |
午前0時35分、曾おばあちゃんが亡くなりました。享年99歳。
ここ数日、少し元気がなかったのですが、昨日の朝から食欲が無くなり、いつものように縁側の陽だまりに連れていって寝かせても、普段は「あったかくて極楽極楽」と上機嫌になるのに、お日様に当たっても「寒い」と言う状態でした。
夕方には呼吸が苦しそうになり、医者に診てもらったら肺機能が低下しているとの事で、注射を打ってもらい少し収まりました。
母と叔母が付添って夜を過ごしていましたが、夜半過ぎに水で口を湿らしてやろうとしたところ、呼吸がおかしいと皆を起こし、医者を呼んでいる最中に脈が止まり、永眠しました。子、孫、曾孫に囲まれ、自宅の畳の上での大往生だったと思います。合掌。 |
27 |
水 |
曾おばあちゃんの葬儀を済ませました。
お墓の納骨堂の、曾おじいちゃんの骨壷の横に曾おばあちゃんの骨壷を並べて収めました。今ごろ二人で久しぶりに再会して話に花を咲かせていることでしょう。 |